大判例

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東京地方裁判所 昭和50年(ワ)8066号 判決

原告

株式会社二玄社

右代表者

渡辺隆男

右訴訟代理人

田之上虎雄

右訴訟復代理人

伊藤喬紳

被告

株式会社グフビア精光社

右代表者

佐藤誠純

右訴訟代理人

鈴木光春

井口寛二

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実《省略》

理由

一原告が各種図書の出版を業とし、被告が各種印刷を業とする会社であること、原告が昭和四五年一二月二日から同四七年一〇月三日までの間、被告に対し、別紙一覧表〈略〉(一)記載のとおり一五回にわたり同表(一)記載の各図書の印刷を同表記載の内容、条件で請負わせたこと、被告が右図書を印刷したうえ、原告にこれを引渡したこと、原告が被告に対し、別紙一覧表(一)記載の金員を支払つたこと、以上の事実はいずれも当事者間に争いがない。

二原告は、原告が被告に対し、本件各図書の印刷を請負わせるにあたつて、ポジフィルムの作製(製版)及び保管も契約の目的・内容とされていた旨主張する。そして、証人望月直の証言(第一回)中にはこれに副う部分があるが、証人柳沢弘の証言と対比すると、容易に採用できない。また、〈証拠〉によれば、被告は原告に対し、本件各図書の印刷代金中に本件各ポジ作製に要する費用代(材料費を含む。)を含めて請求し、原告は被告に対し、これを支払つていること、原告は、本件各図書を含む「世界の自動車」全五五巻を当初約四年の歳月をかけて発刊する予定でおり、被告もこれを知つていたこと、そのような長期発刊計画からすると、本件各図書の重版は充分予想されるものであり、現に原告は、昭和四六年二月から同四八年一月ころまでの間、被告に対し、別紙一覧表(一)記載(1)、(2)、(7)の各図書の重版を注文し、被告は本件各ポジ等を用いてその印刷を行つたこと、印刷業者は、通常、重版が予想される場合には、ポジフィルムを保管しておく例であること、原告は、本件各ポジを含むポジフィルムの台帳を備えていることが認められ、更に、被告が原告に対し、別紙一覧表(一)記載(1)のポジフィルムを引渡したことは当事者間に争いがない。しかしながら、以下に認定する事実関係に照らすと、右のような事実があるからといつて、原告が被告に対し、本件各図書の印刷を発注するにあたり、特に本件各ポジの作製及び保管も契約の目的、内容とされていたものとは推認することができず、他にこれを認定できる証拠はない。かえつて〈証拠〉によると以下の事実が認められる。

(一)  グラビア印刷は、出版業者側の企画立案に基づく原稿をもとに、印刷業者が、写真植字等を経てポジフィルムを作り(製版。なお、この間出版業者の校正を経る。)、グラビアスクリーンを焼き込んだチッシュ(紙にゼラチンを塗布したものを重クロム酸カリ液にひたして乾かした感光性のもの。)にポジフィルムを焼き付け、このチッシュを銅版などに転写現像のうえ、腐食液(第二塩化鉄液)につけて腐食させ、クロムメッキを施して刷版を作り、これを用いて印刷するものである。このように、グラビア印刷の場合には、必ずポジフィルムを作るのであり、この点で、専ら再版用にのみ作成する活版印刷の紙型とその目的、機能を異にしている。しかも、ポジフィルムは、写真乳剤でできており、一度ポジフィルムとして用いれば、後に加工又は再生するなどして、他の用途に用いることはできない(なお、銅版刷版の場合には、表面のメッキを剥して、他の印刷物の刷版として用いている。)。従つて、ポジフィルムの材料費等の作成費用が印刷代金に含まれているのは当然であり、逆にそうであるからといつて、ポジフィルムの作製が当然グラビア印刷契約の目的、内容となつているものではない。

(二)  グラビア印刷は、他の刷式よりも原稿写真の調子や深みをよく出しうる階調に富んだ特長を持つているが、その工程中、最も重要かつ困難とされている部分は、ポジフィルム作製及び腐食の過程であつて、ここにグラビア印刷技術のノーハウというべきものがあり、そのため、印刷業者は、自らの都合により印刷が間に合わないとき、その他の例外的場合を除き、一般に、他にポジフィルムを引渡すことはない。また、グラビア印刷の場合、同じボジフィルムから刷版を作り直して印刷してみても、前に作つた刷版で印刷したものと同じものはできないといわれるほど、印刷効果がデリケートである。従つて、重版に備えて版を保存するとすれば、刷版を保存した方が良いのであるが、通常、重版を予定しているとはいつても、所詮見込みにすぎず、その保存費用、スペースからみると採算が合わない場合が多いので、特別の場合にはともかく、通常は、その一段手前にあるポジフィルムを保存することが多い。ところがポジフィルムは、写真乳剤でできているため、その作成の際の水洗いの程度や保存場所の環境によつては半年位で変色し、使用に堪えなくなることがあり、充分な水洗いや保存方法をとつても、通常数年たつと、部分的に汚れてきたりする。

(三)  出版業者は、その営業利益の大部分を初版本ではなく、重版本によつてあげており、これに対応して、印刷業者は(週刊誌、広告チラシを始めとする端ものなど明らかに重版をしないものを除いて)、その作成にかかるポジフィルムを少なくとも一年間程度保存するよう心がけている。これは、特に出版業者との間の契約に依るものではなく、またその保存をしないと重版が不可能となるからでもなく、専ら、印刷業者が、その営業上の配慮から、重版の際の注文獲得を期待して、無償で保管しているのである。それは、前に作つたポジフィルムを利用して刷版を作製すればポジフィルム作成(製版)までの費用がかからないため、初版本に比べて重版本が格安にできることとなり、出版業者も重版する場合に、他の印刷業者に注文してポジフィルムから作り直させるより費用が安上がりであるため、特別のことがない限り、ポジフィルムを保存している印刷業者に重版を注文することとなるからである。(出版業者が前に頼んだ印刷業者からポジフィルムを取上げ、これを他の印刷業者に貸与して、重版を行うということはない。)。このため、出版業者も、印刷業者との間でポジフィルムの作製、保管の契約を締結することもなく、事実上、印刷業者がこれをその営業上の配慮から保存しておいてくれることを期待してきたというのが業界の実状である。

(四)  被告は、将来確実に重版されるものについては、注文主との間で、銅版刷版の保管契約を締結することとしており、現に原告との間でも、別紙一覧表(一)記載(1)の図書について、銅版刷版を一年間保管するとの契約を締結したが、それ以後の図書については、右のような契約を締結しなかつた。

(五)  また、原告が被告に対して、本件各図書の印刷を注文した際、(初回の一冊について刷版の保管を依頼したことを除くと)原、被告間でポジフィルムの作製及び保管並びに将来の重版に関する話合い、交渉が行われた形跡はない。

(六)  原告は、グラビア印刷用のポジフィルムを使つて、オフセット印刷用のポジフィルムを作れるかどうかを試験しようと考え、昭和四七年夏ころ被告に対し、別紙一覧表(一)記載(11)のポジフィルムの貸与方を依頼し、被告はポジフィルムについては本来外部に持出すべきものではないのであるが(ノーハウ漏洩防止、海賊版普及防止)、得意先である原告からの頼みでもあるので(印刷業者がポジフィルムを保存していることの積極的意義、理由は、得意先からの重版注文を誘うことにあることは前述のとおりである。)、右ポジフィルムを交付したものである。

(七)  原告は、昭和四八年一月ころから本件各図書の印刷をグラビア印刷からオフセット印刷に切り替えることとし、専らグラビア印刷を業としている被告には、以後その注文をしないことに決め、そのころ被告にその旨告知した(この結果、被告としては、本件各ポジを保管しておく必要性が消滅した。)が、以後昭和五〇年四月ころ被告に対して、本件各ポジの引渡を求めるまでの間、原告が被告に対し本件各ポジについて、何らかの請求をした形跡はない。

以上のとおりであるから、本件各ポジの作製及び保管が本件契約の目的、内容となつていた旨の原告主張は採用できず、右主張を前提とする原告の請求は、その余の点について判断するまでもなく、理由がない。

三原告は、本件各図書の印刷注文主である原告が本件各ポジの所有権を取得したものであるとし、その根拠として商慣習を主張する。そして、〈証拠〉中には右主張に副う部分があるが、〈証拠〉と対比すると、容易に採用できない。

また原告は、本件各ポジの所有権を取得したとする根拠として、原告が本件各ポジ作製費用一切を支払つたと主張し、原告が被告に対し、右費用を含む代金の支払を了したことは前記認定のとおりである。しかしながら、原告が被告に注文したのは本件各図書等の印刷それ自体であること、本件各図書を印刷するにあたり本件各ポジを作製することは必要不可欠であり、これに用いた原材料は他に転用できないことは前記認定の事実関係により明らかであるから、本件各図書の印刷代金中に本件各ポジの作製費用を含むことは当然であるとともに、他に特段の事情も認められない以上、原告が単に本件各ポジの作製費用を含む印刷代金を支払つたからといつて、直ちに本件各ポジの所有権が原告に帰属すべき理由はないものというべきである。

なお、〈証拠〉中には、①印刷業者が出版業者の要求に応じてポジフィルムを引渡す例があること、②印刷業者がポジフィルムに火災保険を付している例があること、③印刷業者が倒産した際、出版業者が活版印刷の紙型を引上げる例があること、④印刷業者がポジフィルムを廃棄するにあたり、出版業者にその旨の許可を求める例があり、出版業者の方ではポジフィルムの台帳を備えたりしていること、⑤ポジフィルムが滅失又は毀損した場合に、印刷業者の責任で、これを再製造したりする例がある、との部分があるが、〈証拠〉によると、①印刷業者が出版業者にポジフィルムの引渡をした例は、専ら、ストライキなどにより納期に間に合わないため他の印刷業者の助力を要するとか、前記のように得意先から頼まれたため断りきれなかつたといつたような(印刷業者側の)特殊な事情がある場合であること、②印刷業者がポジフィルムを保存するのは、専ら、重版の注文を得るためであるから、それ自体保存価値があるものであり、自らの所有物としてこれに保険をかけることは何ら背理ではないこと、③活版印刷の紙型は、それ自体活版印刷の印刷物作成に必要なものではなく、専ら重版に備えて作られるものであつて、凹版印刷に属するグラビア印刷のポジフィルムと比較すると、その印刷過程に占める用途・目的を異にし、通常、それ自体の作製が(印刷物の作製と別個に)契約の目的となつていると考えられること、④印刷業者としては、重版の注文との関係でポジフィルムを保存しているのであるから、その廃棄にあたつて出版業者の意向を伺うことは当然であり、また出版業者は重版費用の関係でポジフィルム保存について関心を有しているはずであるから、ポジフィルムの台帳を作つて重版計画に備えることも当然であつて、いずれもポジフィルムの所有権帰属の加何にかかわりなく理解できるものであること、⑤ポジフィルムが滅失した場合に印刷業者がこれを再製造したのは、重版の注文が行われた際であるなど、印刷業者としても多少のサービスを施してもその注文(及び信用)を獲得するメリットがある場合であつたことが認められるから、結局前記①ないし⑤の事実によつても、本件各ポジフィルムが原告の所有に属することを推認することはできない。

なおまた、〈証拠〉によれば、税務上、特殊な長期にわたる出版計画によるものであり、かつ長期的な出版価値を有する紙型〔ポジフィルムを含む。〕について出版権の存在する期間はこれを出版業者の資産として取扱つていることが認められるが、そのような税務上の取扱いがあるとしても、それだけでは、直ちに原告主張事実を基礎付けるものとは解し難く、他に、本件各ポジの所有権が原告に属するとの原告主張事実を認定できる証拠はないから、所有権に基づく原告の請求は、その余の点について判断するまでもなく、理由がない。

四原告は、原告が被告との間の契約上、被告が原告に本件各ポジを使用、利用させる旨約したと主張するが、これを認定できる証拠はない。従つて、本件各ポジを使用、利用する権利の存在を前提とする原告の請求は、その余の点について判断するまでもなく理由がない。

五以上のとおりであるから、原告の被告に対する請求は失当として棄却を免れない。

よつて、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(篠原幾馬 和田日出光 佐藤陽一)

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